自分の実力とは
自分のできることはある程度把握しているつもりです。
でも、自分の力量への評価は、相手が決めるものだからどう思ってもらってるかは場所によって変わるものだと思います。
今年の2月は、自分が十数年やってきた、資格の下で働くことの意味とは?と葛藤しました。
頭ではわかってる私対して患者さんから「ありがとう」と言ってもらうことが多くなればなるほど、なぜか周りの当たりがキツくなった。
だから、ただの単純な嫉妬だと。
私は、なによりも嫉妬が嫌い。何の意味もないのに無意識に夢中で相手に牙をむけてやってくるから。
それならば、自分ができないことをできるよう伸ばす時間に使えばいいのにと思うくらい無駄だと思うから、相容れないなと思ってしまう感情。
あの時ああしてればよかったなぁとかの反省はあっても、人は人だから、他人を貶めても自分の手柄になんてならないのにね。
採血のスキルは、今でこそ他の追随を許さないと誰もが認めてくれる程になりましたが、最初健診の仕事をした時にそもそも私は血圧の人でした。(その場に居たはずの人にすら信じてもらえないけど)
なんだったら、採血のブースが混みすぎてて「採血できますか?助けて」と言われたのが、健診での採血でのデビュー。
いきなり50人くらいの行列を目の当たりにして「いや、そんなに採ったことないから助けになるかわからないけど、やります!」と答えた。
それからおねえさんたちの背中を見ながら、自分がおねえさんたちと違ってもたもたしているところはどこだ?省ける無駄な作業はどこだ?
と調整を続けていった結果、いつのまにか健診で仕事をしているおねえさんたちの1.5倍の速度は6割運行の力でも維持できるようになりました。
私はそうやってまだ看護師になって数年目くらいの時に、自分を成長させてもらう機会をもらえました。その結果、10年弱の今まで最年少を維持しながら最速という状態になり、重宝してもらってきました。
でも、それが3割運行で仕事をさせてもらえない苦痛にぶつかりました。
ベストを尽くしてきた人が、時間を潰している人たちに出会っただけでしょ。だから、評価が一転したというのが、周りの解説。
解説してもらうまで、自分はそんなに仕事できかったっけ?と本当に凹みました。
ねえさんたちに聞いたら、
「スキルや寄り添うことに真摯にした結果ありがとうなんて言われてきてない人たちがさ、いきなりやってきた、自分より若くて仕事ができて、飾らないで、感謝されてるのを目の当たりにするんでしょ?
認めたくないんじゃない?だから仕事できなくしてやりたかったんでしょ?嫉妬だって気づけばなんてことないことだよ。相手にするまでもない、勝負の土俵にすら立ってないのが丸わかりじゃん。」
そう言われてハッとした。
資格が有れば責任を伴うから、できることを全うすべきだと思っていた。でも、そうじゃない人は、気持ちに隙間があるからそんなことを思いつくのか!と思った。
それを思う暇があったら、仕事したいし、勉強したいわ。チーム育ててチームとして楽したいわと思ってたから、そんな想いに出逢ってこなかった。
自分よりできる人がいるなら、ラッキーだと思ってた。私はまだまだ吸収できる背中を見れると思えるから。自分が先頭に立ったら、自分が見せるしかなくなるからヒントはそんなに落ちてないもの。
そんなこと考えないのかと思ったら、なんだかフッと軽くなりました。
そして、おねえさんたちに
「やぁ、yuenちゃんとやるのはさ、誰だって厳しいと思うよ。だって、自分より若いのにできちゃうのを見なきゃいけないから、今勝ったって私の歳の時には抜かれちゃうのがわかる。
自分が遊んできたことを痛感せざるを得ないじゃん。八つ当たりようがないじゃん、月日は取り返せないからね。
まあ、それで八つ当たってきた時点で向こうの負けだよ。負けてるやつからメンタルやられる必要なくない?
考え方変えてみなよ、yuenちゃんに言われる「ありがとう」の数だけそいつ、毎日ボディブロー食らってるんだよ。捨ててきな、そんな職場、もったいない。仕事してる人間のところに帰っておいで。もしくは、他のところチャレンジしちゃいなよ。」
カッコいいなと思いました。案外自分純粋だなと思い知らされた2020年度の締めくくり、2021年度の始まりでした。
非常に辛い2〜3月だったけれど、そっか、患者さんがきちんと仕事してたことを評価してくれてたなら、無駄じゃなかったなと思いました。
今年度はいいチャレンジをしたいな!
一人焼肉したった。