実習先でのスタッフコミュニケーションで出逢う前提
処置を通して患者さんとのコミュニケーションをとっていくのは、以前足浴でも触れました。
コミュニケーションというと患者さんとのイメージが強いですが、スタッフとのコミュニケーションをおざなりにしてる人は、結局のところ患者さんの為にはなりません。
なぜならば、それぞれの立場でみる視点が違ったりします。
そして、患者さんも相手によって態度を変えることもあります。安心してたり、緊張してたりと色々な感情が湧くものです。誰にとっていいからといって、その人が満足するわけではなく、本人にとっていいかどうかは、その一人でまかなうのは難しいものでもあります。
専門性もそれぞれ職種でも違うので、出来ることならスタッフ一丸となってフォローできることのが望ましいです。
- どのスタッフだと相手は安心して話してくれるの
- 緊張を持って指導できるのか
ということがわかれば、それを利用しない手はありません。飴役になる人もいれば、鞭役になる人も大事という俯瞰の視点もチームには必要になります。
そんなの理想だと言う人もいますが、よっぽどのサイコパスが身内にでもいない限り、ある程度実現可能です。
その実現には、
自分も周りも同じボーダーラインをある程度持っていないとできない
ということを知ることがとても重要です。
ボーダーラインに対して劣っていたとしたら、やることがキツイと感じるでしょう。
もっと上を見ていたら手緩いと思うでしょう。
同じことをしていても感じ方は真逆になってしまうからこそ、きちんと意識を共有しておくことが重要です。
社会一般で、怒る人というのは
支配欲または自分が優れているという自信がある人が行う行為です。
もしくは得体の知れない恐怖に対して虚勢を張っているというのもあります。
よくエリートの人が「なんでできないんだ!」と怒っている状況が、ドラマでも漫画でもありますね。
それは、学校では同じように自分とできている環境にしか育って来なくて、できない人をみたことがない 得体の知れない嫌がらせかも知れない!と勘違いをしている可能性を感じ、自分は何かをされるんじゃないか!?と無意識の恐怖に盾を作っているのかも知れません。
もしくは、自慢しているのかもしれません。
そう思うとどうですか、怒っている人物はとてもちっぽけでしょう。
怒られても惨めな人だなと思えば、腹も立ちにくいです。
ただし、例外で気をつけないといけないのは医療現場の場合、やってはいけないミスの可能性の場合は、大慌てした故に言葉がキツくなっても手を止めてもらうことの方が有益なケースもあります。そこは見間違えず、自分がいけなかったなと素直に反省しておくのがよいです。
もちろんキツく言った後であるならば、キチンとフォローして一人前です。
私の尊敬する看護師のおねえさんは、なんでも1人で対応できるくらいプロフェッショナルな人でした。
しかし、下の子達を育てたいがために、派遣に出かけることがありました。彼女はフルタイム勤務のひとなので、休みの日に出かけるとなると、もはや360日は働いている人でした。
「なんでそんなに働くんですか?」と聞いたら、こう答えました。
「派遣ってその日の仕事じゃない?だから、どんな言われ方をしたら従いやすいか、働きやすいか。
そして、どういう言われ方したらイラッとくるか、傷つくか、わかりにくいか。そんなことたちを身をもって感じられるでしょ。
ある程度立場ができたらさ、そういうの気を遣われてみんな言ってくれないのよ。だからさ、一見さんにならやらかしてくれるかも知れないし、丁重に扱ってくれて自分も学ぶことあるかも知れないじゃない。勉強しにいってるのよ。」
圧倒的な仕事人間でかつ、プロ意識だなと思いました。もはや水戸黄門のやってることからヒントでも受けたのかな?くらい神々しかったです。
さて、怒っている人と神々しい人がいいることを知りました。
本題の看護学生はどうでしょう?
まずスキル、知識的に、経験的に劣っているのは言わずもがな。それは譲れない事実です。阿吽の呼吸は当然使えません。
かと言って、いきなりスキルアップしてくるのも難しいです。
そして、邪魔になるのは、正義感です。
さてはて、なんの話だと思うことでしょう。
次回です。