患者対応

敬語とためぐちの選び方。問題の捉え方。➁

前回の抜粋。

 

 

「敬語とためぐちなんて、考えなくてもわかるだろう、敬語を選ぶんだよ!」

そうお思いになった方、正解です。

でも、看護師になると、違うケースもあります。目的を持っている場合、そこは多少変動します。

たとえば、

心理学者エリク・H・エリクソン(1902~1994)の提唱した、「乳児期」「青年期」「成人期」などの年齢の区切りごとに対し、その時期に獲得すべき「8つの発達段階」というものがあります。

 

詳しくは、こちらの記事をご覧ください。絵だけ見て戻ってきても大丈夫です)

 

そこで疑問にもっと思うのですが、それぞれ該当するべきとされている課題を、その時期に獲得出来なかったらどうなるか?

簡単です、年齢は上がるけど、次の段階の発達課題には上がれないのです。

たとえば、第一段階 0歳〜2歳(乳児期):基本的信頼感vs不信感

ここは、不快、不安、恐怖などの感情に対し、そばに居る母親によって、ひとつひとつ取り除いてもらうという安全基地を覚えていく作業です。

簡単に言うと、安全基地があると教えていくことが、基本的信頼感の獲得になります。

 

では、基本的信頼を得るにはどんなことをすることが必要か、上記に着目した上で次の質問です。

 

Question 2 

前回のブログの【Question1】のように、ご本人が基本的信頼を獲得出来ていないことに気づきました。その人は、投薬や手術が終わったにも関わらず治療が難航しています。

【Answer1】のように③(不快に思ったらその不快ではない方法を一緒に模索する)を実践しようと思います。

さて、看護師のスタンスはどうしたらいいでしょう?

どのような立場を模したら適していますか?

 

 

 

Answer  2 

他人ではありながら、母親のようにフォローし、時に訂正するスタンスを配慮ができると望ましい。

 

 

タイミングが合わなければ、そもそも時間を作れないので毎回できるわけではありません。入院でもそうですし、外来通院もそうです。

なので、私がいないと困るような形で患者さんの気持ちが入り込むようなやり方では、後々のトラブルが予想されます。ある程度は誰とでも、退院しても、一人で乗り越えていけるよう調整していくのもスキルです。その人がいないと成り立たないやり方は、あまりに未熟で、無責任だと思われます。

 

よって「他人ではありながら」

 

時間はいつでも足りませんが、処置待ち、注射中、診察終わり、待合室などなど、機会は探せばほんの少しでも挨拶でも、1〜2分話す時間を探してトライすることは可能です。
お母さんが料理中や掃除中で忙しい時のようなものですね、あしらいつつ、でも無下にしないで質問に対処するような感覚。

 

だから「母親のようにフォロー」

 

もちろん、敬語のご家庭もあるでしょう。私もそういう経験はあります。ですが、家族の会話はタメ口が多いでしょう。その人に合わせたチューニングは随時必要ですので、バランスです。

 

加えて「時に訂正するスタンス」

 

前提として、敬語を使っても敬語のようにはとってもらえない話し方もあります。
一方、葉が所々拙くてタメ口のようだけど丁寧な印象を受けることもあります。

 

相手に誠意を尽くそうという気持ちでしゃべれば、それは伝わります。
その気持ちがなければ、いくら敬語でも上っ面な対応だ、舐めていると取られかねません。

 

そこを意識して使いわけるのです。

相手の年齢がどうであろうと、少し母のような気持ちでフォローしてみます。

言葉が子どもに言うようなニュアンスを含んだ言葉のが、相手に響く場合もあります。ため口とも敬語とも限りませんがね。

「子どもに接するように、ため口にすればいいんだ!」では、ありません。

何から何までタメ口だと、家族がいらしたときにそこだけを切り取られて、不快感を覚えられる方もいらっしゃいます。

 

関係がなりたってこそのスタンスが効果を発揮するので、気持ちであって、形ではないということが重要です。

 

そして、近くなり過ぎることがあるとトラブルの元になりがちです。

ポイントや目的を明確にし、ご本人が獲得できていない発達課題の獲得を目的とするだけ。

その人に響くなと思うような声かけであれば、それは戦略です。

 

また発達課題は相手に伝える必要はありません。面と向かって

「この年齢で獲得できてないんで、お手伝いしますね」

といわれて怒らず済む人なんて想像できません。まず揉めます。

それは、私が一番イヤがっている「後々めんどくさい」に該当します。

 

ただキレイな敬語を使っているだけのお人形さんより、よっぽど意味のある声かけができることがあります。そこまで検討したことを前提に、ここだ!とスタンスを選び、使うことは決して悪いことだとは思いません。

 

目に見えないフォローですが、後々の治療成果や症状の悪化を食い止めるきっかけだったり、身体に違和感を覚えたとき、そのひとはまずその看護師に

「どうでもいいことなんだけど、ちょっと気になっている」

と、何でもないことのように相談してくることが増えるでしょう。その場では効果は発揮しがたくても、その人の病院との付き合い方を考えれば、繋がってくることが案外と多い戦略だと思います。

 

新卒の子たちには、フレッシュな娘や息子のようなその時にしか使えないスタンスという武器があります。挫けることや悔しいことは、経験が少ないから多いと思います。苦労の一方で、その姿勢だから助かってることも実は多いのです。

大人になって、対応はすべて手練れがいいわけではなく、たまにおっちょこちょいなところが見える人は、下からも上からも愛されやすい。結局、スタンスと年齢は連動してなくとも、場が成り立つのであれば、なんでもいいと思います。

誰かをすでに教えたりしてる私には、その初々しい武器は「またまた冗談を(笑)」とあっさり効果がなくて、もはや羨ましい限りです。いいなぁ、私もそれ使いたいわ。

 

目上の人と話すから緊張して、気を遣って、では本質は見抜けません。

 

この人は身体、精神、発達にどういった問題があるかを見つめる。

先に獲得するものを定めながら治療を行い、次を見据えてスタンスをとる。

 

後々、またおんなじこと言ってる、また繰り返しているってことは減っていくかと思います。(病状に関しては、発達課題とか病状に関係ないものもあるので、そこは見極めが必要です。)

 

もちろん、病気でなくとも日ごろの社会でも、上司や後輩、同僚、友だち、家族、好きな人との付き合い方でも、そこは大いに使えるところではありますね。

  • 洗い物を手伝ってもらうには?
  • 言わなくても買い物をしてこようかと声掛けしてもらうには?

などなど、日ごろの負担を減らすためには、大変役立ちますので、私はおおいに活用しています。

 

獲得を促し、相談してもらう関係をつくっていくことは、ちょっとずつ自分の「めんどくさい」を手放していくというのが今回の醍醐味ですね。

勘のいい方たちは当たりましたか?

 

戦略的に置いてきた発達課題を獲得してもらう一助として、スタンスとして、話す言葉のフィルターをぜひ活用してください。